(連載法話)「正しい信仰のススメ」第一回 信仰とは

  • 2018/03/13

(連載法話)「正しい信仰のススメ」

第一回 「信仰」とは

信仰という言葉を聞いて皆様は何を思い浮かべるでしょうか?

「信仰」という言葉を辞書で引きますと

1.神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。

2.特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。

と書かれております。

また、「信」という文字には「まこと、真実」という意味もあります。

古く儒教においては、孔子は「民、信なければ立たず」(人間は信がなければ生きていくことができない)と説き、孟子は人が守るべき「五輪」の道のなかに「朋友(ほうゆう)信あり」として「信」を守るべき徳のひとつとして掲げています。

簡単に言えば、儒教における信とは、五常(仁・義・礼・智・信)の一にあげられ、友情に厚く友を欺かないことを言います。

仏教においては、サンスクリット語シュラッダーraddhあるいはプラサーダprasda(信仰の意)の訳語。

『倶舎論(くしゃろん)』というお経には「信とは心をして澄浄(ちょうじょう)ならしむ」

つまり、仏陀(仏様)の教えを信ずることによって、心が澄み、清らかになること。心の働きのうちで、すべての善心と相伴うもの。と説かれています。

昨今、科学技術の進歩や経済の発展によって若年~老年まで年齢を問わず「無宗教」「無神論」を標榜する方も増えてきたように思います。

「私は無宗教ですが~」

という言葉、同年代の友人と世間話する際や、お手伝いさせていただいているお寺の法事や月参りなどで法話させていただく折にご家族の中の若い方とお話しすると、割とよく耳にする機会もあります。

またイベントなどで法話やご挨拶させていただいた後、他の参加者の方と世間話をしながら感想を聞くと必ずといっていいほど、そう言われます。

また、先日、私が高野山、総本山金剛峯寺にて阿息観(真言瞑想)体験の講師を数日間、担当させていただいた際にも観光がてら参加してくださった方々から毎日のようにそうに言われました。

仏教で葬式あげて、お檀家さんとしてお付き合いしていただいてる以上、信の薄厚はあれど、皆様立派な仏教徒なのですが、私ども僧侶の怠慢ゆえか現状は先述の通りであります。

また、宗教は前時代的であり、心の弱い方が頼るもので自立心があれば必要ないと誤解して仰る方もおられます。

また、オウム真理教による地下鉄サリン事件などの一連の事件やISISを始めとする宗教を標榜しながらテロ行為を繰り返す団体もあり、若年層の中には宗教は危険という思い込みも少なからずあります。

確かに、歴史を振り返ってみると、信仰の名のもとで数知れない人々が迫害され殺害されてきました。また、現在でも過激派グループによる自爆テロ、また国内でも宗教を語る団体による霊感商法事件や詐欺事件が報道されています。

昔から宗教は、自分たちと違う人々を敵にしたてて排除してゆくための道具や人の弱みに漬け込み人々を操る道具として利用されてきたことは否めません。

しかし、そのような宗教における信仰は歪曲されたものといわざるをえません。

真の信仰は心の働きのうちで、すべての善心と相伴うもの。と説かれているように、自己の閉鎖性を破り、自己を世界に開放してゆくものであります。それは私たちをすべての執着から解き放し、この世の中で自由に主体的に生きてゆく道を開いてくれるものなのです。

南無大師遍照金剛 合掌

(次号へ続きます)

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