(連載法話)「正しい信仰のススメ」第三回 正しい信仰とは

  • 2018/03/13

(連載法話)「正しい信仰のススメ」

第三回 「正しい信仰」とは

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(前号の続きより)

真言密教における修法において重要視される概念の一つに加持というものがあります。

加持とは、梵語の「阿地瑟姹那」adhisthanamの訳語であります。

「加」は加被や増加の意で能動的に加えることを意味します。

「持」は受持の意で受動的に受け取り持つことを意味します。

加持とは加持祈祷とよくひとくくりにされ、お加持=祈祷と誤認されますが、加持と祈祷は本来別物であります。

お大師様の著作である『即身成仏義』に、「加持」の語の定規があります。

「加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく。」

わかりやすく言いますと、仏様からの止むことのない大悲(苦を救う大いなる慈悲)を「加」といいその大悲を我々が、感じ受け取って保つ力を「持」と言います。

一言で言えば、「持」は正しい信念を持つこと、正しい信仰を持つことです。

「加」と「持」が合わさった時に霊験、ご利益、効果というものが現れます。

ですので、いくら仏様からの慈悲、助け「加」の力があってもそれを感じ取り保つ「持」、信じる力と正しい信仰がなければ意味がありません。

当人に信じる力と正しい信仰がなければいくらご祈祷を受けても、寺院、古刹、霊場を参拝しても徒労に終わります。

これは普段の生活においても同じことが言えます。

名医にかかってもお医者さんの言うことを聞かねば病気や怪我は治りませんし、良い家庭教師をつけても先生の言うことを無視しては上達も向上もありません。

素晴らしい家族や友人が周囲にいても彼らを信じ、彼らの話を聞かなければ力を貸してもらうことはできないでしょう。

では正しい信仰とその実践とは何か?

それはまず「信仰」の「信」、信じることです。

※「信」については前回詳しくお話しさせていただきました。

そして、「信仰」の「仰」、仰ぐ。

仰ぐを辞書で引きますと、4つ意味があります。

1 上を向く。上方を見る。あおむく。「星空を―・ぐ」

2 尊敬する。敬う。「師と―・ぐ」

3 教え・援助などを求める。請う。「指示を―・ぐ」「助力を―・ぐ」

4 あおむいてひと息に飲む。あおる。「毒を―・ぐ」

四つの意味、全てに実践があります。

1 上を向く。下を向かず、前向きな気持ちを持ち向上心を持つ。

2 敬う。お大師様、仏様、神様、ご先祖様、ひいては他人を敬う。

3 請う。神仏のご加護や正しい道を歩むための教えを請う。

4 ひと息に飲む。良い結果も悪い結果も受け入れ、現実と自分を見つめ受け入れる。

そして信仰の実践においてもう一つ大切なこと、それは謙虚な気持ちを持ち続けることです。

謙虚さは感謝の気持ちを持つこと、周囲への配慮、相手の意見を受け入れる素直さにつながります。

信仰を持っていても謙虚さが欠けていれば、信仰という言葉を免罪符に迷惑行為を平然としたり、

他の信仰を持つ人たちを頭ごなしに批判したり攻撃したりすることにつながります。

現代の日本において宗教論争、宗教対立は珍しいですが、観光寺院などで他の参拝客の都合も顧みず好き勝手なお参りをするような方々は目にする機会もあるかと思います。

ぜひ皆さんにおかれましても「正しい信仰」とその実践について考えていただき、謙虚な気持ちで日々実践していただければ幸いです。

さすれば、仏様からの慈悲、「加」を一身に受けられていることを「持」によって実感され、日々をよりよく幸せに過ごしていただけると確信しております。

南無大師遍照金剛 合掌