「仏教行事紹介」盂蘭盆・お盆(うらぼん・おぼん)とは

お盆とは正式には盂蘭盆(うらぼん)といい、サンスクリット語(梵語)で「倒懸」「逆さ吊り」という意味のウランバナullambana という言葉が語源であり、「逆さに吊るされる苦しみを救う」という意味として伝えられてきました。

しかしながら、最近の研究ではガンダーラ語でお供えを載せる「お盆(トレー)」という意味のolana という言葉やサンスクリット語(梵語)で「ご飯」の意味を表すodanaの口語形であるolanaが語源である説が有力であります。

またアヴェスター語の「霊魂」という意味であるurvan という言葉が語源、由来ではないかと言われております。

 

「先ず施主家の為に呪願せよ」

お盆について説かれた盂蘭盆経にある一節です。

 

お釈迦さまは僧侶に「先ず施主家の為に呪願せよ(先ず布施をされる人々や家の為に祈りなさい)」と説かれました。

そこからお盆の時期は各地でお坊さんが各家を廻りお経を上げお勤めに行きます。お盆参り、棚行、棚経、盆行とも言われる行事です。

 

お盆と言えば一般的に8月13日〜15日、16日の期間をイメージされる方も多いと思いますが、本来は7月15日もしくは8月15日(旧暦の名残で1ヶ月遅れ)がお盆、盂蘭盆です。

 

お盆、盂蘭盆とは仏歓喜の日、僧自恣の日。元は雨安居(雨季にお坊さんがお寺に籠って行う勉強会、修行)明けの日を表します。

 お盆の起源となる盂蘭盆経というお経に次のようなお話があります。

かつて仏教の開祖である釈尊、お釈迦さまの十大弟子で神通第一と呼ばれた高弟である目連尊者がおられました。

 ある日、目連さんが優しかった亡き母が恋しくなり、神通力を使って亡き母の様子を探りました。

優れた神通力を使ってもなかなか母親の姿を見つけられませんでしたがようやく見つけた時、目連尊者のお母さんはなんと餓鬼道に堕ちておりました。目連さんは非常に驚かれたと伝わります。

自分にとって優しく良き母親であったお母さんがあろうことか餓鬼道に堕ち、口にする食べ物は喉を通らず水は口にする前に火に変わり飢えと渇きに苦しんでいました。

目連さんは自身でなんとかお母さんに水や食べ物を差し上げようとしましたが悉く上手くいきませんでした。

困り果てた目連さんは泣きながらお釈迦さまに相談されました。

お釈迦さまによれば、目連さんのお母さんは生前に息子を溺愛するあまりに周囲の人達を困らせ苦しめるなど犯した様々な罪、悪業により餓鬼道に堕ち、飢えと渇きに苦しみ続ける日々にありました。

目連さんはお釈迦さまに亡き母を餓鬼道から救う方法、食べ物と水を口にできる方法を尋ね、お釈迦さまはそれを示されました。

それが7月15日、その日に安居が明けて一同に会する大勢の僧侶達に百味の食事(様々な沢山のご馳走)を供養する事、そしてその供養を以て父母並びに過去七世の父母に回向する(功徳を差し向ける)ことでした。

その功徳、回向により亡き母は餓鬼道の苦しみから救われたと伝わります。

また以後、七月十五日、盂蘭盆、お盆に僧侶達に供養する者達の亡き父母並びに過去七世の父母は救われ、存命の父母は長生きすると伝わり盂蘭盆の行事が行われるようになりました。

※ちなみに、盂蘭盆経は中国撰述(いわゆる偽経)だという指摘もありましたが、盂蘭盆経とほぼ同じ内容のパーリ仏典があり、インドでもお盆の行事があったとされます。

パーリ大蔵経小部(クッダカ・ニカーヤ)第七  「餓鬼事経(ペータ・ヴァットゥ)」

「盂蘭盆経」との違いは、目連尊者の母の話が舎利弗の母になっていること、実の生母ではなく過去世の母であることです 。

お盆はご先祖さまや亡き人が帰省されるので供養する日だとも言い伝わりますが、行き場のない餓鬼や帰るところのないとされる無縁仏を併せて供養する日でもあります。

 

その供養により自分さえ良ければいいという気持ちを薄め、分かち合う心を養います。

 

自分さえ良ければいいと思っている間は何かを得ても共に喜んでくれる人は現れません。それ故に満たされず虚しいばかりです。分かち合う心、施しの精神が真の満足を作り出します。

 

これを実践する事を仏教では「布施」「布施行」といいます。

 

分かち合う心、与える心を大切にしていただきご先祖様、先に逝かれた亡きご家族と共に一切の精霊、三界の万霊に手を合わせ供養する気持ちを持っていただければ幸いです。

 

南無三界万霊

南無有縁無縁一切精霊

南無施主家先祖代々霊位

盆供養の為に

 

南無大師遍照金剛

合掌