(プチ法話)「より善く生きる為に 苦しみを乗り越えて」~艱難汝を玉にす~

「より善く生きる為に 苦しみを乗り越えて」~艱難汝を玉にす~

天気が移り変わるように順境と逆境があるのが人生。
思いがけない苦難が我が身に降りかかり、思い通りにいかないことも多いと改めて感じておられる方も少なくないかもしれません。
仏教の開祖釈尊(お釈迦さま)は人が逃れられない四つの苦しみ生老病死の「四苦」を説かれました。そして苦しみの本質は思い通りにならないことであり、それを乗り越えて生きていく様々な方法を説かれました。その一つの方法が自分の周囲で起きている事象や身を置く環境、自分自身の状態や気持ちを正しく観察し、その価値に気づくことです。
しかしながら、私を含む多くの人達は順境、調子のいい時、思い通りに物事が進むときには喜び、気が大きくなります。反対に逆境、調子の悪い時、思い通りにいかないときには悲しみ、悩み、投げやりになったりします。
ですが、それでは苦しみは取り除けませんし、乗り越えて生きていく方法には近づけません。
お大師様のお書きになられた『声字実相義』(しょうじじっそうぎ)の中に
『如来の説法は必ず文字による 文字の所在は六塵(ろくじん)その体なり』
という言葉があります。
仏様の教えは必ず文字言語によって表されます。そのありかは「六塵」にあるという意味です。
「六塵」とは「般若心経」の中にも説かれています「色、声、香、味、触、法」の六つ、即ち「六境(ろっきょう)」をさします。「眼、耳、鼻、舌、身、意」の「六根(ろっこん)」を通して、感じ受け取った精神作用によって現れた六境は様々な欲望や感情、感覚、現象、意識の対象となる一切のものです。つまりこの「六塵」とは私たちが生活している中で起こる一切のものです。
「身の回りに起こっていることは全て仏様、大日如来様の説法ですよ」とお大師様は仰っています。
日々の生活において辛いことがない人は少ないと思います。いないと言っても言い過ぎではないかもしれません。人生に於いて思い通りにいかないことに出くわした時に「これも何かを学ばせてくれる縁」「大日如来様の説法」だと思えるならば、逆境や苦難も糧となるでしょう。それに気づけば全ては糧になりどんな状況にあってもより善く生きていけることでしょう。それはお釈迦様の説かれた様々な苦しみを乗り越えて生きていく方法の一つでもあります。
まだ、しばらく辛い時期が続くかもしれません。お大師様の教えをヒントに「艱難汝を玉す(かんなん、なんじをぎょくにす)」つまり困難の中にあっても自分自身を磨いて頂き自らを輝かせて頂ければ幸いです。南無大師遍照金剛 合掌。

※この原稿は当山寺報「お地蔵さん 令和3年夏号」からの掲載です。