令和七年乙巳歳西院胎蔵後七日御修法に承仕として出仕させていただきました

令和七年乙巳歳「後七日御修法(西院流・胎蔵界)」に承仕として出仕させていただきました

 

~後七日御修法(ごしちにちみしほ)とは~

後七日御修法は、毎年1月8日から14日まで京都・東寺(教王護国寺)で行われる行事です。平安時代より続くこの法要は、国家安泰・玉体安穏・五穀豊穣を祈願するために行われ、現在でも真言宗各本山の座主猊下はじめとした15名の高僧によって厳修されています。

この度、当山(地蔵山金剛寺)副住職である私は法会(ほうえ)のお手伝いをする真言宗各派から選抜された17名の承仕(じょうじ)として御寺泉涌寺様より出仕し、大変名誉あるお勤めをさせていただきました。

 

~後七日御修法の歴史~

御修法は平安時代初期、仁明天皇の承和元年(834)の御代、弘法大師の奏請(そうせい)により、勅許が出されて始まりました。また、宇多法皇(宇多天皇)が出家後に醍醐天皇の為に再興したことも有名です。

その後、戦火等で度々中断を余儀なくされましたが、明治16年に釈
雲照律師らの尽力によって再興されて以降、今日に至ります。

そもそも、宮中では元旦から1月14日まで年始行事が行われ、これを前後に分けて前七日では神道による節会(せちえ)、後七日には仏教経典である「金光明経(金光明最勝王経)」による御斉会(ごさいえ、みさいえ)が大極殿にて行われていました。

お大師さまの奏請により、勅命にて、宮中の真言院にて密教形式の儀式である「後七日御修法」が行われるようになりました。
明治に復興されてからは、場所を東寺(教王護国寺)に移して、勅使を迎えて行われるようになりました。宮内庁より依頼を受けて行われる数少ない格式高い法会であり、天皇陛下の御衣(ぎょい)を宮内庁よりお預かりし、お加持しています。

後七日御修法は、日本仏教の伝統と皇室との関係、密教の祈りによる衆生救済、世界平和への祈りを象徴する重要な密教儀式です。この機会に皆様へ出仕のご報告をするとともに、その意義を分かち合い、日々の生活に生かしていければ幸いです。

南無大師遍照金剛 合掌