(プチ法話)「下座行のススメ」
- 2017/07/30
- 法話
(プチ法話)「下座行(げざぎょう)のススメ」
お坊さんの大事な修行でもあり、仕事の一つに「下座行(げざぎょう)」というものがあります。
「下座行」とは他人よりも一段と低い位置に自分の身を置くことです。また、そのような状態でも不平不満を表さないことにより己を磨く修練であり修行です。
昨今はインターネットの発達や社会環境の変化により自己アピール全盛の時代です。
自分を知ってもらわなければ、不当に評価され冷や飯を食わされるのではないかと不安になり自分を必要以上に大きく見せる人も多く感じます。
勿論、そうせざるを得ない場面・状況も増えているので一概に否定できませんが、自分を必要以上に大きく見せようとするのはやはり自分自身に実力がなく自信が無いからではないでしょうか?
また、人間は成功しているいないに関わらず、自分よりうまくいっていない人、もっと下にいる人を見るとそれはある一面の事に過ぎないのに全てを見下したり、高慢になったりしがちです。
実際、ワイドショーや週刊誌は毎日のように芸能人や政治家のゴシップを歪曲して取り上げ、異様な盛り上がりをみせています。
それを戒め、高慢な気持ちを見つめ直す考え方が、この下座行の本質です。
どんなに低く見られようと、それを、微塵(みじん)も不満に思わず、淡々と仕事をし、生活する。
転じて、自らを一段低い位置に身を置き、主に掃除を通じて実践する修行です。
お坊さんの間で「下座行」と云えば「掃除」の別名でもあります。
僧侶は下座行の時間を毎日の生活に組み込み実践しています。
掃除は精神修行という一面や単純なクリンネス(清掃)・クレンリネス(清潔空間の維持)という概念を外しても、掃除をすると普段見れない光景、気付けない風景が観れるなどして新たな刺激を受けます。
また作業中、一心に掃除すれば頭から雑念や悩みがひと時ではあれど消え、脳の休憩にもなります。そうすればまた色んな事を前向きに考えることができます。
我が国、日本では古くから、掃除を多くの学校、芸事、仕事の分野において有効な教育手段として組み入れられ、現在でも義務教育をはじめ多くの集団生活や研修で取り入れられていますが、それは非常に的を得ていると思います。
実際、海外の教育関係者が日本の小学校の掃除の様子を視察に来る様子も度々ニュースで取り上げられています。
掃除を下座行として修行に取り入れたり、教育として生活に組み込みんだ先人達の智慧に改めて感服します。
少し話がそれますが、お大師様(弘法大師空海)の遺された有名なお言葉の一つに
「境は心に随って変ず。
心垢るる時は即ち境濁る。
心は境を逐って移る。
境閑なるときは心朗かなり。
心境冥会して道徳玄に存す。」
とあります。
今の言葉に訳すと
「心が貧しい時は環境も荒廃し、環境が良いところでは心も穏やかで居られる。
心の持ちようによって環境の見方が変わり、環境の移り変わりによって心も大きく変わる。環境が心を形成し、心は環境に支配される。」
という意味です。
掃除(下座行)によって身の回りの環境を整える。
それはきっと皆さんの心を整え、より良い生活への近道になります。
面倒に感じる時もありますが、皆さんも掃除を通じて下座行を実践されてはいかかでしょうか?
天災、人災、様々なニュースが駆け巡り慌ただしい日々の中でも皆さんが穏やかに前向きに過ごせることを祈っております。
南無大師遍照金剛 合掌
※この文章は当山寺報「お地蔵山」に掲載された原稿を再編集し掲載しております。